第 58 回 日本病理学会東北支部学術集会(JSP −TN) 抄録データベース
教育講演 1
演題名 医療制度改革と病理医の役割
出題者および所属
東北大学 濃沼信夫
症例の概要・問題点
1.医療制度改革のゆくえ 最近の医療を巡る主要な社会的関心事といえば、(1)医療事故、(2)医師不足(小児科医・名義貸し)(3)病院ランキング本の3つである。この3つはまったく異なる現象のように見えるが、これらはいずれも1つの構造的な課題に起因すると考えられる。その課題とは、究極の量的拡大、すなわち医療におけるバブルである。多くの産業では、「空白の10年」とよばれる1990年代に、辛酸をなめつつ、バブルの総括と清算が進められたが、ひとり医療分野はバブルの総括も清算も行われなかったように見える。
 一般産業におけるバブルとは、80年代に、(1)設備投資、(2)人員採用、(3)土地投機の3つが、見通しもない過度に進行したことである。このため、バブルが弾けると、(1)過剰設備の廃棄、(2)過剰人員の整理、(3)過剰投資の回収という、苛酷な清算を迫られることとなった。一方、医療分野では、医療法等の法的規制があり、バブルの弊害は設備投資に限定された。一般産業が3重苦を強いられたのに対し、医療分野はただ1つの問題(過剰な設備投資)に対峙すればよかったのである。
バブルの終焉後、医療分野は過剰設備を廃棄(病床数、受診数のスリム化)する強力な政策展開が求められたが、一般産業ほどの強い危機感はなく、推進力も十分ではなかったように見える。関係者の利害が交錯し、政策決定の調整に多くの時間がかかることも災いした。すなわち、90年代の医療制度改革案はことごとく先送りされ、バブル的なものを引きずったまま、21世紀に突入することになったのである。
1980年代は、医療政策を量的拡大(アクセスの確保)から質的充実(優れた医療の実践)に大転換すべき時期であったにもかかわらず、バブルの風潮が社会を覆い尽くし、わが国はその大事なタイミングを逸してしまったともいえる。20世紀末に欧米諸国で進められた、消費型医療からの決別、医療資源の有効活用という意識改革も、わが国では遅々として進まなかった。
こうして、医療分野の量的拡大は40年の長きにわたり進行し、さまざまな形で医療現場に深刻な影を落とすことになった。例えば、病床数の供給過剰である。わが国の人口当たり医師数は世界に遜色のない水準にあり、養成数に不足はない。国際的にみてわが国の医師の配置基準が格別高いわけでもない。それでも慢性的な医師不足が生じるのは、過剰病床によって1病床(1患者)当たりの医師数が極端に少なくなるためである。これに医師の地域偏在が追い打ちをかける。
 人口千人当たり病床数をみると、OECD加盟30カ国は平均7.5床だが、わが国は16.2床と数倍の水準である。このため、1病床当たりの医師数は主要先進国の2・3分の1、米国の5分の1である。わが国の人手不足は深刻だが、治療成績は世界水準にあり、医療者の人道的な熱意や献身的な努力で人手不足がカバーされている状況がうかがえる。しかし、これにも限度がある。
 医学の長足の進歩によって入院需要は激減し、在院日数は大幅に短縮し、外来での手術や化学療法が一般的になっているのが世界の潮流である。現行の過剰な病床数を世界標準にスリム化することは、国民に安全で良質かつ効率的な医療を提供ための不可欠のプロセスといえる。 病床の供給過剰によって、人手不足が深刻化するばかりでなく、社会的入院の増加(試算では1兆4000億円の損失)や、入院期間の延長(生活支援のためのルーチンワークの増加)による医療資源の浪費が起こり、病院の慢性的赤字体質(需給バランスを欠いた商品の在庫余りという状況)が生じることになる。  病床のスリム化には、地域の医療需要に見合う病床の機能区分、役割分担と連携を通じた病院の集約化、手厚い人員配置を促す診療報酬上の工夫など、医師不足を解決するための具体的で実効性のある計画的な施策が早急に打ち出される必要がある。このため、医療制度改革に関する百出の議論は、医療の生命線である人手をいかに厚く提供できるかの一点に収束させることが重要である。
2.病理医の役割  前節の冒頭に述べた、(1)医療事故、(2)医師不足、(3)病院ランキング本という医療を巡る社会的な関心事に、病理の領域も無縁ではない。医療事故の背景には、わが国の医療が抱える(1)質、(2)効率、(3)効果という課題が横たわっており、この3つのすべてに、病理診断、臨床病理が深く関わっているからである。医師不足では、小児科医、麻酔医とともに、あるいはそれ以上に病理医の絶対的、相対的不足が先鋭化した問題となっていることは言うまでもない。 また、病院ランキング本に関していえば、患者ばかりでなく、赴任する医師や研修を希望する若手医師に魅力ある病院となるために、病理診断部門の充実は欠かせない。(1)臨床研修指定病院におけるCPCの開催要件、(2)来る4月の診療報酬改定でのDPC評価における病理診断料等の除外(出来高払い化)、(3)医療機能評価における病理医確保の重視、(4)America’sBest Hospital のreputation scoreを左右する治療の質(治療方針を指南する病理診断の役割)などがそれを物語っている。
 単位人口当たり病理医数を試算してみると、米国はわが国の6.6倍(病理科医)・11.2倍(病理専門医)であり、人口当たり医師数で補正(米国はわが国の1.4倍)しても、米国は4.6・7.9倍である。米国の麻酔医数は、わが国の1.8倍(人口当たり医師数で補正すると1.7倍)であるから、わが国では病理医の不足が極めて深刻であることがわかる。
 わが国の医師数(平成13年医師調査)は、人口10万人当たり195.8人であるが、病理医は1.4人であり、医師の0.73%を占めるにすぎない。通常の医療が完結する圏域として設定されている二次医療圏(全国に363圏域)でみると、二次医療圏当たりの病院数は17施設(中央値)、医師数は312人(同)であるが、病理医数はわずか3.6人であり、病理医がいる病院はむしろ例外的という異常な状況にあることがわかる。
 宮城県(ほぼ全国水準と同じ)でみると、病理医の配置可能人数は、全病院で0.2人(5病院に1病院)、100床以上の病院に限ると0.4人(およそ2病院に1病院)、200床以上の病院では0.8人(ほぼ全病院)である。東京都は、各0.5人(2病院に1病院)、1.1人(全病院に1人)、2.1人(1病院に2人)であり、病理医分布の地域格差も小さくない。  全国で、100床以上の病院数は約4,500施設、200床以上の病院数は約2,200施設であるから、わが国の病床数127万床(従って、病院数8,200施設)を、現状よりも2分の1から3分の1に集約化(世界水準化)できれば、現行の少ない病理医を2病院に1人、ないし1病院に1人適正配置することが理論上可能となる。これにより、正確な診断の確定と最適な治療の選択を通じて医療の質の向上を図るという目標の実現が、より現実味を帯びてくる。
 病理医の不足は、絶対的不足であるとともに相対的不足でもある。地域ごとに、このどちらがより大きな課題であるかを見極めることで、改善のための戦略が立てやすくなるに違いない。例えば、福島県では、人口当たり病理医数の全国比は0.9で全国の水準を下回るのに対し、医師数当たり病理医数は1.1で全国を上回る。従って、福島県では、病理医を志望する医師の割合が少ないことよりも、医師数そのものが足りないことがより大きな問題であることがうかがえる。一方、東京都は、全国比で、人口当たり病理医数は1.9、医師数当たり病理医数は1.5であり、病理に進む医師を増やす作戦が重要であることがうかがえる。
 病院の集約化は、1つの病院だけで医療が完結する20世紀型の医療から、介護、福祉をも包含しつつ、地域で医療を完結させる(地域が1つの病院となる)21世紀型の医療への脱皮という積極的な意味をもつ。設置主体が同じであれば、統廃合もありうるが、わが国の場合、チェーン病院は限られている。
そこで、地域の複数の病院が強い連携(提携)を行い、診療科の再編(診療科の重複をなくし、すべての診療科に複数の医師が常勤)を図って、複数の病院があたかも1つの病院のように機能する、「病院群」の形成がより現実的である。これにより、患者サービスの向上や医療者の負担の軽減に加えて、機器・材料の共同購入や業務の簡素化による病院経営の改善も期待できる。将来は、病院群を一つの病院とカウントする医療計画の取り決めや、基幹病院が代表して診療報酬を請求する方式も考えられる。新しい臨床研修における病院群の制度は、新しい地域医療システムの萌芽とみることもできる。
病院の集約化は、医療技術の進展、住民のニーズの多様化、交通・通信手段の進歩等に見合う、時代の要請、医療管理学の必然であり、安全で質の高い効率的な医療を実践するための重要な基盤整備である。病院の集約化を押し進めるには、プライマリ・ケアを担う診療所と救急医療のネットワークの整備が欠かせない。この病院の集約化は、病理医の役割・機能を最大化する上で、IT技術の活用とともに、極めて重要かつ現実的なプロセスと考えられる。 病理医の確保、診断病理の振興、病理解剖の推進など、臨床との接点を拡大し、病理に対する国民と医療関係者の理解と協力をうるための対策は焦眉の急となっているが、このために学会の果たすべき役割は格別大きいように思われる。病理科の提言、地域病理ネットワークの創設に加えて、300カ所程度の病理診断拠点病院の整備などが考えられる。小児科学会(わが国の小児医療供給体制の構想)、麻酔科学会(医療安全対策)など、他の学会の政策提言を紹介しながら、病理学会の将来戦略についても言及したい。