第 56 回 日本病理学会東北支部学術集会(JSP
−TN) 抄録データベース |
出題者および所属 |
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山形大学医学部第二病理学教室
本山 悌一
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症例の概要・問題点 |
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東北支部学術集会での討論「病理医、私のチャレンジ」の話題を提供するように支部長の手塚先生に命じられたとき、初めは固辞した.第一にチャレンジなどと言えることはほとんどしていないし、最近ではむしろ人生を如何に終えるかに興味が移りつつあったからである。しかし、苦悩を曝すことで話題提供になるならばとお引き受けすることにした。
年齢を経るにつれ、考え方や行動様式がそれまでの自分自身の経験に基づいてくるのは当然のことであろう。指導的立場の人間があまり具体的な指示を与えすぎてしまうと指導される側は長い目で見るとかえって大きくは育ちにくくなるという例をこれまで幾つも見てきた。そのため教室員に対しても学生に対してもできるだけ自主性を尊重するようにしてきた。助教授時代の私に指導を受けた者には今の私は信じ難いほど優しくなっているように見えるというのもそういったことの一つの現れかもしれない。しかし、強く言うことを控えるようにしているということは、一方では私自身をわかりにくくし、最悪の場合には目的や夢を持っていないように思われることにもなりかねない危険もありそうである。
最近の山形大学の卒業生で病理学を選んだ者が少なくとも2人はいる。その2人は「先生の講義を聴いて、実習して、病理学に興味を持った。将来病理学をやってみたい」と実に嬉しいことを言ってくれて何度か私のところを訪ねて来たが、結果的には他大学の病理学教室に行ってしまった。1人は私のところよりもっと基礎的な研究を行いたくて、もう1人は私のところよりもっと診断病理学的なことをやりたくてのようであった。彼らの本当の気持ちを見抜けず、それぞれに合った勧誘のしかたを強くするという機会を持たないでしまった。「何を選ぶか何処を選ぶかは君たち自身の判断だ」というのが私の基本姿勢であるから、もしかしたら私が素っ気無さ過ぎるように見えたり、私の病理学に対する姿勢が中途半端に見えたりしたのかもしれない。ただ確かに自分自身でも本当に中途半端であるかもしれないと思っている部分があるところが問題なのである。昔の自分も「優れた臨床医であると同時に科学者でもありたい」という気持ちが高じて病理の門を叩いた。この1人の頭の中に当然併存しえる2つの希望をかなえる教育の場として、病理を専門にしたいと思う者にとっても狭義の臨床を専門にしたいと思う者にとっても、病理は最適の場であるということには何の疑問も持たない。しかし、如何にして実践してゆくか、それが難しい。それはこれからの私の病理医としての生き方を問うことでもある。
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